播磨の国一宮 伊和神社(その2)

 皆さんこんにちは。 子供のころ、『神社で遅くまで遊んでいると、神隠しに遭うんやで。』と母親に言われて、夕方になるとビビッて走って家まで帰っていた私です。(笑)

さて本日も先日の続きの伊和神社(その2)です。

 屋根の檜皮(ひわだ)が新しくなった本殿の土台は、石で積んであるのですが、そこには昔の職人の遊び心が見て取れます。

 本殿を囲んでいる塀の格子の間から中をのぞくと石垣が積んであるのが見えますが、東側には、扇型の石と、伊和神社の紋章でもあります菊の花の形の石が積んであります。 伊和神社にお参りされた方はぜひ見て帰ってください。 

 本殿の両側(東側と西側)には、小さな社殿があります。 私たちは子供のころから『末社』と言っていましたが、そこには、播磨の国十六郡の神社が祀ってあります。 東側には、東播磨八郡、西側には、西播磨八郡の神社が祀ってあります。 さすが播磨一宮ですね。

また、 末社の東側には、五柱社・御霊殿が建っていますが、これらについてはまた別の機会にご紹介したいと思います。

末社を過ぎて、狭い通路を通り、本殿の真後ろに回っていきますと、とつぜん、南側に開けた場所があります。階段を下りて行ったところが、鶴石です。

 鶴石は、伊和神社の創祀伝説の石で、昔、この辺り一帯を治めていた豪族、伊和族の長である伊和恒郷の夢枕に神様が立たれて、『我を北向きに祀れ』と言われ、そのご神託に恒郷が驚いて起きてみると、辺りには一夜のうちに杉や檜が生い茂り、その上には鶴が舞っていたそうです。

 そのうちの大きな2羽の鶴が、この石の上に北向きに眠っていたそうで、そこに社殿を建てて、神様をお祀りしたのが伊和神社の始まりだと子供のころ聞いた覚えがあります。

ここが、伊和神社では一番のパワースポットではないかと思いますので、ぜひ立ち寄ってみてください。 

鶴石を過ぎて、西へ抜けていくと西の『末社』があります。 そこを過ぎて、拝殿正面に向かって歩きながら、上のほうを見ると、本殿、幣殿、拝殿の屋根の下に見事な彫刻が施してあります。

 本殿には、水にちなんだ彫刻が施してあります。これは火除けの願いを込めて、彫刻してあるという事です。 幣殿、拝殿にも、見事な彫刻がしてあるので是非ご覧になってください。

そのままどんどん進んでいくと、左手に大きな2本の杉の木が見えてきます。 これが、安産の象徴としてお祀りされている『夫婦杉』です。 1本の根っこから、2本の杉の木が出ているとても珍しい杉です。

 また、社務所北側には『大杉』と言って神社で一番大きな杉の巨木がお祀りしてあります。 しめ縄が飾っておりますので、すぐにわかると思います。 これだけ大きな杉の木は、なかなか見ることが出来ないと思いますので、こちらもぜひ見て行ってください。 ちなみに、樹齢は550年~600年ぐらいだそうです。

 これだけ歴史のある神社なので、もっと古い木があるのかと思っていましたが、意外と新しいですね。 その理由は、伊和神社は戦国時代、毛利方についていたため、秀吉によって焼き討ちに遭い、それ以前の物はあまり残っていないからだそうです。 

大杉の横にある井戸を囲う建物は、その昔、南北朝時代に新田義貞が戦勝祈願のため、伊和神社に梵鐘を寄進したらしいのですが、明治以降の廃仏毀釈により、梵鐘が神社より撤去され、鐘楼堂だけを井戸の囲いとして使っているものだそうです。

その梵鐘は、伊和神社より300mほどはなれた庵寺の梵鐘として、今も残り、大晦日にはその鐘の音を響かせています。

 そのほかにも、1年を通じて様々な祭礼が行われますので、ご興味のある方は是非一度お越しになってください。 まだまだ見どころはたくさんある伊和神社ですが、その紹介はまたの機会という事で。

それでは今日はこの辺で失礼します。

 

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